第2話 〜母と子〜


「え、ええぇぇえ!?わ、私がですか!?」

朝。
日課である薪割りを終え、母上と姉と共に朝食を取っていると突如姉が叫びだした。
とりあえず、姉の唾が入らないように器を退避させる。
全ての器を安全圏に移し終え、安心して母上に話の続きを促す。

「ええ、そうです。先ほど妹の元起より文が届きました。どうやらあなたの従妹である徳然が十四になる祝いとして、かの高名な儒学者である盧植殿の下で学問を学ぶようです。そこで玄徳、あなたも一緒にどうかとお誘いがあるのです」

どうやら、母上の妹…つまり、叔母の子供が私塾に入るついでに姉もどうかという誘いらしい。
それにしても、盧植殿か…。
村の近くへ立ち寄る商人の噂でしか人となりを知らないのだが、聞くところによればかなり厳しい指導を行うらしい。
最も、悪い噂はほとんどないので厳しいながらも良き人物なのだろうと推測できる。
はたして、そのような者に私事して姉が耐えられるのか…?

「だ、だけど、私なんかが学問を学ぶだなんて…」

「言い訳は聞きません!」

姉が何か言おうとしたが、珍しく母上が声を張り上げて遮った。
思わず目を見開いて母上を見てしまったが、仕方ないだろう。
横の姉を見れば、姉も同じように驚いて固まっていた。

「玄徳…。あなたが毎日、私を助けるため子封と共に草鞋や筵を作っているのは見ています。しかし…」

「しかし、あなたはこのような場所で収まる人材ではないでしょう。いつの日か、己の夢を秘めてこの家を出て行くことでしょう。そのためにも、この機を逃す訳にはいきません」

「お母様…」

…この言い回し…母上は何か隠し事をしているのだろうか。
「でしょう」などとは言っているが…表情を見れば分かる。
これは期待などではない…『確信』だ。
何を確信しているのかは分からないが…俺には知る必要のない話なのだろう。
大人しく汁をすする。

「…分かりました、お母様。私、このお話お受けします」

「…よくぞ決断しました、玄徳。母は嬉しいですよ」

短い間ではあったが、姉は私塾に行くことを決めたようだ。
その答えに母も嬉しそうだ。

「頑張ってきてくれ、姉上。姉上ならば厳しいと噂の盧植殿の下でもやっていけるだろう」

「う、うんっ。義封、私がいない間はあなたがお母様を助けてね!」

「ああ。家の事は気にせず、姉上は色々と学んできてくれ。それが後々母上の助けとなるだろう」

…まぁ、草鞋を作るにしても、筵を作るにしても、姉上は売り物にならないものを量産するからあまり関係ないのだが。
それにしても、母と二人きりか…。

一度も父の姿は見たことがない。
姉上も知らないと言うのだから、何かしら事情があるのだろう。
よって、物心ついた頃から母上と姉上の三人で暮らしてきた。
それが、突然とはいえ二人きりになるというのだから戸惑ってしまう。
やるべきことは増えるが、これまで以上に時を忘れる生活になることは間違いない。

「ところでお母様。出発はいつですか?」

「明日です」

「そっかー。明日か――って、えぇえ!?」

明日なのか。
突然といえば突然だが、準備に一日使えるのだからそこまで急ぐ必要もないな。

「ええ、明日ですよ。ホラ、早く食事を頂いて準備をしなさい」

「ふえええぇえぇっ!?」

耳元で姉上の甲高い叫び声が響く。
…煩いな。

「姉上、叫んでないで早く動け」

「もうっ、義封までヒドイ!!」

頬を膨らまし、腰に手を当てて「私怒ってます!」というようなポーズを取っているが、姉上が怒ったところで怖いイメージはまるでない。
母曰く、「微笑ましい」とのこと。
…ま、私から見ても同感だが。

「もうっ。二人してヒドイんだから!」

「…自棄食いだけは止めておけよ」

怒りながら勢いよく食べ進めていく姉上に一言告げたが、あまり意味はなさそうだ。
やれやれ…。

その後、自棄食いとは名ばかりの量を食べ終えた姉上は準備のために部屋の隅でごそごそと動き回っている。
私はその姿を横目にしつつ、売り物である草鞋を編む。
次の販売は決めてないが、数日以内には行う予定なので、早めに数を作り終えておかねばならない。

「ふぇええ〜!どこにあるの〜!?」

姉上の叫び声が聞こえるが、無視だ無視。
何から何まで手伝っていては姉上の助けにならないからな。

「ふえぇぇえええ!義封〜助けて〜!!」

……。

「義封〜!義封〜!!」

………。
とりあえず、一時退避するか。
母上に目配りし、外へと逃げる。
まったく…姉上も困ったものだ。

――と、ため息を吐きつつのんびりしようと、思ったのだが…私は今逃げている。

「逃げないでよ、義封〜っ!」

「追いかける暇があるなら準備を進めろ!!」

他でもない、姉上に追いかけられて。
唯一救いなのは、姉上自身は運動が嫌いだということぐらいか。
おかげで追いつかれることはない。

「ま、ま、ま、待ってぇ〜」

「……哀れなり、姉上」

息絶え絶えで追いかける姿を振り返りながら眺めていると、何故だか罪悪感に駆られる。
とはいえ、罪悪感のまま姉上を手伝ってしまえば姉上はそれを覚えてしまうだろう。
姉上のためにも、ここは追いつかれるわけには…。

「……、……!」

「…はぁ。私も甘いな」

ぐったりと地面に手をついて息切れしてる姿を見て、仕方なしに姉上を背負い、家へと戻る。
疲れてそのまま寝てしまった姉上を寝床に下ろし、やりかけのまま散らばっている姉上の荷物を纏め、隅のほうに置いておく。
そして、母上に一言告げてから少し遠くにある川へと向かう。
ある程度とはいえ汗をかいてしまったからな、水で流しておかないと匂ってしまう。
気分的にも、早めに流しておきたいものだ。

森に入り、汗を流し、家へと戻る。
姉上の服が変わっているところをみると、母上が身体を拭いたのだろうか。
…怠惰な娘を持つと親は苦労するな。
台所で作業を母上を見つけ、声をかける。

「お疲れ様です、母上」

「おかえり、義封。玄徳は寝たままだけど、夕餉にしないかい?」

「分かりました、母上。ですが、姉上を放置したまま私たちだけで先に頂くとまた姉上が怒るかと思いますが?」

「ふふ。あれだけ走ったのだからちょっとやそっとじゃ起きないわよ。さ、温かいうちに頂きましょう」

「…は、はぁ」

もう一度姉上の様子を見て、全く起きる様子がないので起こすことは諦める。
母上の進めるがままに、二人で夕餉を頂き、昼間進めることができなかった草鞋を編む作業を再開する。
無心のままに編み続けていると辺りはすっかり暗い。
蝋燭の溶け具合から二刻ほど経っているらしい。
姉上が起きた様子もなく、母上の言うとおり昼間の逃走劇はだいぶ疲れたらしい。
少しズレてしまった掛け物を直してやり、私も寝床へと向かう。
私も今日は少しばかり疲れてしまったようだ。
明日は、もっと草鞋を…編まなければ……――。




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姉上が元起殿と徳然殿と共に盧植殿の私塾へと向かってから数日。
相も変わらず草鞋や筵を編み、薪を割り、畑を耕す日々を送る。
姉上がいなくなった事で何か変化があるのかと考えたが、村の子供たちが時折寂しそうにすることを除けばほとんど変わることはなかった。
その子供たちも、遊ぶ対象を私に変えることで寂しさを紛らわしているように思えた。
…姉上であれば何かしら行動を起こすのだろうが、私では何も考えつかない。
私にできることと言えば、草鞋を編む傍ら、木彫りの人形を作ってやるぐらいだ。

そして、今日もまた家へとやってきた子供に頼まれ、馬の木彫りを作った。
出来上がった作品を見せてやると、大いに喜んでくれた。
帰って行く子供を見送り、再び草鞋を編む。
しかし、その作業も再び中断することとなる。
今度は他でもない、母上によって。

「義封。少しいいですか?」

「?何か入り用ですか、母上」

母上に呼ばれ、台所に向かう。
椅子に座っている母上に従い、自分も椅子に座る。
母上と対面する形で座ったわけだが、一体何の話だろうか。

「それで、どうかしたのですか母上」

「義封。あなたは今年、何歳になりますか?」

突然聞かれたことは自分の年齢。
毎年、ささやかではあるが祝っているのだから忘れたとは思えないが…。
一体、どうしたのだろうか。

「私ですか?今年で十五となりますが、それが何か」

「…玄徳がいない今。この家には私とあなたの二人しかいませんね」

「…ええ、そうですね」

「私はこれまでの十五年間。あなたに嘘をついてきました。何の事だか、分かりますか?」

「……」

返答は、できない。
もちろん、何度も考えたことがある。
しかし、母上に聞くことは憚れた。
父のいない現状で、女手一つで姉上と私を育て上げた母上に、余計な心労を与えたくなかったから。

「…聡明なあなたの事です。気がつかずとも、薄々感づいていたとは思いますが、母の口から直々に説明します。…義封、あなたは――私の子供ではありません」

「…やはり、ですか」

分かっていた。
母上と姉上は同じ桃色の髪。
私だけが銀色の髪だった。
唯一、同じだと思ったのは目の色ぐらいだが、髪の色がここまで違えば生まれを気にするのは当然であった。

「ええ。…十五年前のあの日。私が家に帰ってくると門の前に布で包まれた何かが置かれていました。覗いてみれば、それはそれは小さな赤ん坊でした。身体の育ち具合から考えて、生まれたばかりの赤ん坊であったと思います。そんな赤ん坊が、家の門の前に置かれていたのです」

「…つまり、私は捨てられた子供であったわけですね」

「……ええ、そうです」

母上の顔を見れば、口を真一文字のように閉じられ、目はこちらをしっかりと見据えていた。
何を言われても受けとめようとする母の姿がそこにはあった。
だからこそ、私もこの言葉を言えた。

「ありがとうございます、母上」

「えっ…?」

「母上に拾われなければ、私は今、こうして生きていたかすらも危うかったと思います。それに、母上は私から何かしら恨みを言われると考えたのかもしれませんが、お優しい母上のことだ。十分に悩み、苦しみを経て真実を私に告げようと決意してくださったのでしょう?そんな母上に、何故私が文句を言わねばならないのでしょうか。私が思うことはただ一つ、感謝の念だけですよ」

「…ふふ。あなたのような息子を持てて私はとても幸せよ、義封」

「私も、あなたのような母を持ててとても幸せです。母上」

笑顔の母上に笑いかける。
母上には感謝しかない。
もしも恨み事を言うのであれば、それは私を捨てた者にだ。

「さぁ、空も傾いておりますし、食事の準備をいたしましょう」

「ええ、そうね」

椅子から立ち上がり、倉にしまってある野菜を取りに向かう。
その私に、母上から一言。

「ありがとう、義封」

すれ違い様で突然言われた言葉に思わず苦笑いを浮かべてしまう。
そのお返しと言っては何ではあるが、私からも母上に一言。

「礼を言わねばならないのは私の方です、母上。…ですが、今言うべき言葉はこれでしょう――これからも、よろしくお願いします」

そして、そのまま倉から野菜を運ぶ。
昨日に続き、あまり草鞋を編めていないが、それ以上に充実した日を送れたと言えよう。
十五年間、苦しんだであろう母上を楽にできたのではないかと思えば、さらに良かったと思う。

…その後、昼間に木彫りをあげた子供から話を聞いたと押しかけてきた子供たちの相手をすることがなければ良き思い出だったのだがな…。
やれやれ…。




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母上から赤子の頃の話を聞いてから早一月が経過した。
つまり、姉上が私塾に行ってからも同じぐらいの月日が経ったわけだが、村の生活はほとんど変わっていない。
そんな日々を送っていたわけだが、ある日の朝の事…。

「りゅう〜ら〜んお兄〜ちゃん!」

「ら〜んにぃ〜ちゃ〜ん!」

「…どうかしたのか、そんなに急いで」

畑を耕していると、よく姉上や私のところへ遊びに来る姉弟が走ってやってきた。
手には何やら白い物を持っている。
どうしたのだろうか。

「りゅ、りゅ、りゅ…」

「りゅ?」

「りゅうび、お姉ちゃん、から、手紙が、とどいたよ〜…」

「早く、らん、にぃ、ちゃんに、おしえて、あげようと、思って…」

「そ、そうか。ありがとう、二人とも。ゆっくり休んでくれ」

二人は私に手紙を渡すと、肩で息をしながら地面に座り込む。
そんな二人の背中を撫でつつ、手紙に目を通す。
中には姉上の近況が書かれていた。

書かれていた内容と言えば、主に私塾関係が中心だった。
まず、盧植殿は噂通り厳しい人物とのこと。
次に、私塾で多くの人物と知り合い、交流を深めたとのこと。
そして、その中でも右北平から来た公孫賛とは馬が合い、真名を交換した仲とのこと。
とりあえず、元気そうで何よりだ。
……ただ、勉学の事を全く書いてないところを見ると、その方面はダメらしい。
姉上らしいと言えばらしいが…はぁ。

「やれやれ…。何のために私塾に行っているのか分からないな…」

「なんて書いてあったの〜?」

「よくないことが書いてあったの〜?」

「ん〜…。まぁ、そんなところだ。…これから二人は暇か?」

「ひまだよ〜」

「ひま〜」

「なら、この手紙を母上に届けてくれないか?私はこのまま畑を耕さす必要があるからな」

「わかった〜」

「じゃあね〜」

私から託された手紙を持ち、二人はそのまま立ち去った。
その後ろ姿を見送り、再び鍬を振り上げ、勢いのままに振り下ろす。
深く突き刺さった鍬を起こし、土を掘り返す。
この作業を一面の畑全体に行うのだが…。

「…何年も耕しているが…相変わらず広いな」

見渡す限り畑。
この広さがあるからこそ、粟や稗、芋に豆など手広く栽培している。
これらは基本的に私たちの食事となるわけだが、稀に商人に対して物々交換を申し込んで肉や魚といった珍しい品物と変えることもある。
ま、ほとんど来ることはないわけだが。

「…さて、文句を言っていても作業が進むわけでもないしな。やるか」

再び鍬を担ぎ上げ、振り下ろす作業に入る。
今日中に終わるといいのだが、な。




∽to be continue∽

   
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